Rien du tout, ou la conséquence

とどのつまりは何も無し

ふしあわせな世界を見送ることについて

同期たちと共に、千葉某市のセレモニーホールへ、彼女のお通夜に行った。

わたしも同期もまだ友達が死ぬということに慣れていない。「爺ちゃん死んだ時はこうだったけど~」「俺身近な人のお葬式って初めて…」なんて話しながら歩いた。わたし自身も自殺で友達をなくしたことはあるけれど、こういう形は初めてだ。
誰からも望まれていない形で死を迎えてしまったことへの仕返しのように、大量の罠が仕掛けられた場所だった。

まずエントランスから容赦ない。会場のフロアに着いたエレベーターのドアが開くと、全員がウッと声を詰まらせた。彼女が着ていたコートがマネキンにかけられていた。
「あ、あ…あのコート」「いや、分かる、そうでしょ」「ヘッドホンもそうじゃね…」とすでに苦悶の声がそこかしこから漏れる。
次にご友人からの挨拶で、ご丁寧に、中学時代・高校時代(2名)・大学時代、と4回にわたって「泣け」という全力アピール。途中から心を無にして「近しいひとが死んでしまったときどういう言葉が一番グッと来るのか」探しへ精神を追いやるしかない追撃。
同時に音楽。セレモニーによくあるぼんやりしたシンセは、最初はディズニー系のしっとりした曲を流していて納得だったのだけれど、「虹の彼方に」の次に「ルパン三世のテーマ」のアレンジ*1が流れて頭が大混乱する。その後はもうやりたい放題、エゴラッピンに吉井和哉にイエモン、ってこれ全部あの子が好きだった曲だ、カラオケに一緒に行くと歌ってた曲だ、と気付いてもう復帰不可能。
わたしの献花の順番が回ってくる頃流れていたのは、イエモンの「JAM」で、泣くのを通り越して多少の絶望感と一緒に、白い菊をそっと置いた。



彼女のおかあさんは、とても小さくて、白髪がめだっていた。
おとうさんは、全然似ていなかったけれど、ずっとうつむいていた。
来年結婚する予定だったと言っていた彼氏は背が高くて正直に言って今風のかっこいいひとで、ああこのひと最強のカードを手に入れてしまったな、と思ってしまったことを、心から詫びたい。

棺の中の彼女は、とてもきれいにお化粧をしてもらっていた。
髪もきれいにしてもらっていたけれど、きれいすぎて、ウィッグだとすぐに分かった。



丸いテーブルを囲んで同期一同と(遠慮無く)(上等な)寿司をつまんだのだけれど、途中、ロビーで「在りし日の映像を流す」というとんでもない集団自傷イベントが行われていて、いやそんなの絶対行かないよ、と苦笑いをしていたら、途中から歌声が聞こえてきた。テーブルが凍りつく。
「これ、は、」思わず絶句する。
「あーだめ、おれ聞こえてない」と一番仲の良い同期。「これ聞いちゃいけないやつだよ」
聞いちゃいけない、と言いながらみんな必死に耳をすませて、テーブルの人数に足りないサーモンとイクラをどうやって分配するかの相談をした。


自殺でひとが死んだ時は、なじりたい気持ちとかなしい気持ちがないまぜになる。ではそうでないときは?


帰る直前に勇気を出してエントランスにある思い出の品コーナーに寄った。
「うわ、あの子ゼンハイザーのヘッドホン使ってたの」とか言いながら、ふと見てしまった。
わたしが昔あげたカピバラさんのちいさなフィギュアが、そういった雑多なものにまじって置かれていた。

*1:エゴラッピンがカバーしていたらしいとその後検索して知る