Rien du tout, ou la conséquence

とどのつまりは何も無し

重力を愛することについて(ゼロ・グラビティ)

先週月曜日出社したところ、課長の第一声が「おい、おれ『ゼロ・グラビティ』観たんだけどすごかったあれマジ見るべき」だったので観ようと思っていた。
あまり映画の趣味が合うひとではないのだけれど、べつだん映画好きと思えない課*1の中で、月曜日(公開後3日経過ぐらい)の段階で課の中の3人ぐらいがすでに観ているという異常な状況、かつ、全員がすごく感想を語りたそうでたまらなさそうだったので。


たぶんこれまで観た映画の中で何番目かにこわい映画だった。こわすぎて開始3分で泣いてしまった。
一時間ぐらい経って、気が付いたら首に涙がつたうぐらいに泣いてしまっていた。
宇宙はこわい。こわいから好きだし、こわいから考えたくないと思うこともあるけれどもっと考えたいし、知りたいし、もっと触りたいと思う。
わたしの知りたい感覚、知りたくない感覚、分かりたい感覚はやっぱり「こわい」から生まれる。


昔、バリイ・N・マルツバーグの「アポロの彼方」という小説を読んだのだけれど、気に入っていてメモに写してあった一節を思い出した。狂ってしまった宇宙飛行士の話の断片を集めたもの。

うふ、とエヴァンズは口に出し、意識が恋人のように遠のき、ううむ、と気を失うと、八倍の重力が花嫁のように爪を立てて襲いかかる。


とりあえずこれ邦題を「ゼロ・グラビティ」にしたらだいなしだろうとは言っておく。
まあセールス的な意味でそうしたい気持ちは分からないでもないのだけれど。くだらない副題を付けられるよりはましかなとは思うのだけれど。

あ、あと、隣に座ってたおじさんが途中のしずかなシーンで紙袋をガサゴソし始めて、初めて映画中の騒音で軽い殺意をおぼえたかもしれない。音が余計、といえば、劇中に使われていた音楽ももっと控えめでいいなとは思ったけど(音量的な意味ではない)、でもおじさんすげーあれだいなしだった! だいなしだった!!!



そういえば高校生のころ、わたしはこの地球の重力を愛する、という一文で終わる話を書いた。



いろいろ突っ込みどころはあったのだけれど、映画は必ずしも科学的なリアリズムにのっとっていなければいけないわけではないと思うタイプなのでこれでもいいかなと思う。
以降ねたばれ、観ていて気になった点を少し。




気になったのは
・一方ロシアでは、とは言え、衛星爆破した場合の影響の計算ぐらいするw
・最初、ストーンは遠心力で一気に救出不可能な所まで行くだろうし、それを抑止するような行動を取ったようにも見えなかったのできっとコワルスキーはどうやっても追いつけない
・上記にくわえて、ISSと望遠鏡間も相当距離あるはずだし、「ISS(元座標だっけ?)まで900メートル」のようなことを言っていた気がするけど、単純距離というより三次元座標的な意味での距離が問題なのでは。でもストーンを安心させようとして言ったとも取れるのでいいかな。着けちゃったけど。
・スペースデブリは「来る、来る!」って感じで視認できる速さじゃないはず
・なんでパラシュート開いたん? そもそも宇宙空間で開くん?
・中国の宇宙ステーションは有人ではないのか?(あれは逃げた後ってこと?)
あれ、結構あったな……。でも楽しむのが映画ではだいじ。


ゼロ・グラビティ

ゼロ・グラビティとは編集

*1:映画好きは多くはないがサブカルやらSFやら好きは異常に多い